ひなびたブログ

ひな・びる【鄙▼びる】( 動バ上一 ) 田舎らしい感じがする。野暮である。いなかびる。 「 - ・びた温泉」

クッキングシートとキッチンペーパーは間違いやすいか


一昨日の日曜日、鮭を焼いた。

大学時代は「なんとなく調理が面倒そう」という理由でほぼほぼお魚の類を買うことがなかったのだが、最近になって逆だと気づいたのだ。お魚は焼くだけでいい。塩味が既についているものを買うことが唯一のコツである。そこにお米の代わりに冷奴をつけて、インスタントお味噌汁にお湯を注げば、ボリューム的には完璧に晩ご飯になる。野菜が足りない。

というわけで最近はよくお魚を焼く。

そこでクッキングシートなのである。

食べたい時にフライパンの上に敷いてお魚を乗せるだけでよい。洗い物もかなり軽く済む。素晴らしい発明品だ、と感激したものである。私は今までクッキングシートといえばケーキを焼くときに敷くものという認識だったが、最近はお魚を焼くときに敷くものという認識に変わった。他の用途はまだ知らない。


そのクッキングシートを使い切った。最後の一巻きを終え、箱と芯だけが残った。

買っておかねばお魚が焼けない。

私は買う物リストをメモ帳に残しておかなければ3歩ごとに忘れていくので、完璧な晩ご飯を食べ終えてすぐにスマホのメモ帳アプリを開いた。

買う物リストのページを開いたところで、さらに前にケチャップが切れていたことを思い出して書き足す。そういえば指定のゴミ袋も残り少ない。他には何かあったか、などとつらつらとメモ帳を埋めて、さあそもそも何を書いておこうとスマホを手に取ったのだったか。あれ?

そう、これがとんと思い出せない。何かを買う必要があったはずなのだけれど。これがどうにも思い出せない。確か日用品だったと思ったけれど。確か今日は晩ご飯を作って…料理……料理に関連する…なにか…紙……紙的ななにか……。


そして私は思い出した。


かくしてメモ帳には「キッチンペーパー」の文字が堂々と追加された。スッキリした気持ちでお風呂に入るべくリビングを出る。我が家はリビングと玄関を繋ぐ廊下にキッチンがある。ドアを開けると脇に冷蔵庫が控えている。廊下を進むと横目に見えるシンクには、フライパンと食器が鎮座している。洗い物は明日でいいか。でもお魚なので早く洗っておかないと臭いがこもるかもしれないな、お魚を焼いたから、お魚を。

あっ。




無事にタイトルを回収したところで、ここから先は余談となる。


記憶には意味記憶と手続き記憶とエピソード記憶があるらしい。多分もっと色々あるとは思うが、とりあえずいくつか種類がある。

意味記憶は学校で覚えるような知識的な話、手続き記憶は自転車の乗り方など繰り返し行うことで無意識に身につく記憶、エピソード記憶は昨日なにを食べたかなど。だったはずだ。

何かを覚えるときにはこれらの複数に跨ると忘れづらいという。暗記ものの勉強は、家の廊下のような「いつもと違う場所で」「繰り返し行う」と覚えやすいというのは有名な話である。いつもと違う場所で勉強することでエピソード記憶、何度も行うことによって手続き記憶に関連させる、ということだと思う。いや詳しいことは知らないのであまり鵜呑みにしないで欲しい。

さて、これらはものを覚えるときの話であるが、覚えたものを脳から取り出すときはどうだろうか。


先のエピソードで私は記憶からクッキングシートを取り出そうとして失敗し、キッチンペーパーを持ってきてしまった。これは何故か。

クッキングシートとキッチンペーパー。

ものとしてはかけ離れているが、どちらも台所で使う巻かれた紙状の日用品。カテゴリとしては同じだ。脳内で同じ引き出しの中に入っていておかしくはない。こういう、同じ引き出しに入っているものを取り違えることはままある。常にニコイチでいる2人の名前を、全く似ていないにもかかわらず言い間違えたりすることはそう珍しくもないことだろう。

しかし似た形状のラップとは間違いようがないのは、やはり語感が原因か。「クッキング/キッチン」「シート/ペーパー」、なんとなく受ける印象が近しい単語で構成されているのである。ここに「ラップ」が入る余地はそうそうない。ただ私はよくラップとジップロックは間違えるので、さもありなん。

であればカテゴリが同じというのと同じくらい、語感が近いというのも、脳から取り出す際の大事な要素なのかもしれない。

私が常日頃どれほど文字や言語に頼って思考しているかが分かる事象である。


そういえば人が物を考えるとき、文字先行型か音声先行型かという話もかなり興味深いと思っている。

機会があれば、いつかそんな話も。